2月16日(土)
ドラマの「トクサツガガガ」を5話まで見ました、そんなりあですこんにちは。
原作のマンガは読んだことがないのでドラマしか知らないのですが、今のところどの話も面白くて、毎回観るのが楽しみです。隠れオタクの葛藤がコミカルに描かれていて、テレビの前で思わず「わかるわかる」とうなずいてみたり。まあ私の場合は『必死に隠すわけでも積極的にバラすわけでもないけど、黙っていてもオタクっぽいオーラがにじみ出てしまう系女子』なので、もはやいろいろ諦めていますが(遠い目)
とりあえず今後万が一 娘が特撮にはまることがあったら、仲村母や5話に出てきたファーストフード店の母親のように否定することはせず、「お母さんも海賊戦隊ゴーカイジャーと魔法戦隊マジレンジャーが大好きで、変身アイテムや武器を買っていた。ゴーカイサーベルなんか家に3本もある」と伝えて安心させようと思います(←違)
2月17日(日)
今日は娘の「お食い初め」をしました。今日で産まれてからちょうど100日目ですよ。あれからもう100日もたつのか…と思うと、なんだかすごく感慨深いです。
お食い初めとは「一生涯、食べることに困らないように」という願いを込めて、生後100日頃の赤ちゃんに食事をする真似をさせる儀式なのです。
娘はお腹の中にいるときから食事の支度やご飯に反応してドカドカお腹を蹴り、産まれてからはお腹がすくと全力で号泣し、ミルクを勢いよくゴクゴク飲む食欲旺盛な子なので、親としてはなんとしても、一生食べることに困らないようにしてあげなければ!(←決意)
そんなわけで、お食い初めに使う鯛や煮物や赤飯などの料理を用意しなければいけないのですが、まだまだ手がかかる3ヶ月児の世話をしながら準備するのは正直難しいので、秋田市の『牛玄亭厨房』で「お食い初め膳」を注文してみました。配達エリアは秋田市内の決まったエリアだけですが、秋田市八橋の店舗で直接受け取ることもできますよ。
こちらがそのお膳。煮物や赤飯、漬物、エビなどが盛り付けられています。
焼き鯛付きを選んだので、水引で飾り付けられた焼き鯛も入っていますよ。まさにお祝い!って感じで華やか。
両端が細くなっている「祝い箸」と、歯がため用の石もセットになっています。お吸い物は含まれていないので、これは自分で作りました。インスタントではなく、ちゃんと昆布と鰹節から出汁を取りましたよ。美味しく作れてよかった。
あとは大人用のお寿司と…
オードブル。さっきのお食い初め膳は子どもに食べさせる真似をするだけで、最終的には大人が食べるので、オードブルはその分だけ小さめサイズにしました。
ネットを見たら、赤ちゃんが男の子の場合は身内で最年長の男性、女の子の場合は身内で最年長の女性が「ご飯→お吸い物→ご飯→魚→ご飯→お吸い物」の順番で赤ちゃんに食べさせる真似をするのを3回繰り返すと書いてあったので、その通りにしてみました。最後に「丈夫な歯が生えますように」と願いながら、歯固めの石を軽く当てた箸を赤ちゃんの歯茎にちょんちょんと当てて終了。
まだミルクしか飲めない娘は、食べさせる真似をしても『何してるの??』といった感じで不思議そうな顔をしていましたが、ぐずったり泣いたりすることもなく、無事に終わって一安心。元気にすくすくと育ってほしいです。
2月23日(土)
男鹿市に住んでいるおばが亡くなったので、葬儀に参列してきました。
「おば」とは言っても、私が赤ちゃんだった頃に近所に住んでいた人で、共働きの両親のかわりに日中ベビーシッターとして私と妹を預かってくれていた方なので、血のつながりはないのですが、私にとって大切な人でした。
おばさんの家には私と10歳ぐらい年の離れた2人の子供がいたのですが、おばさんは私たち姉妹を、実の子供たちと同じように分け隔てなくかわいがってくれました。
子供を産んだ今、改めて思ったのですけれど、自分の子供2人に加えて、手のかかる年齢のよその子供2人の面倒を見るというのは、かなり大変な事だったと思います。私が今、3ヶ月になったばかりの自分の子供を1人育てているだけでもこんなに大変なのに、おばさんはどんなに苦労したことか。おばさんはいつもニコニコと優しく接してくれていたので、今までそんなことに全く気がつきませんでした。
我が家が遠くに引っ越しをしてベビーシッターとしての役目が終わった後も、一家で時々おばさんの家に遊びに行ったりして、本当の親戚のような付き合いが続いていました。私の母が、私がまだ学生の頃に若くして亡くなったこともあってか、おばさんは私たち姉妹のことをずっと気にかけてくれていました。
その後、忙しさにかまけて、最近ではおばさんの家に行くことは ほとんどなくなっていましたが、11月に私が出産した時、おばさんは産後の体調を気づかって電話をかけてきてくれました。私は「もう少し暖かくなったら赤ちゃんを連れておばさんの家に遊びに行くね」という話をしたのですけれど、その後、おばさんは自宅で倒れてそのまま亡くなってしまいました。もっと早く会いに行っていればよかった、今までの恩返しをするべきだったと、今とても後悔しています。
おばさんの息子と娘から、仲が良かった人の代表として私に弔辞を読んでほしいと依頼されたので、大役ですが、おばさんのためならと快く引き受けました。これが少しだけでも恩返しになっていれば良いのですが。
人との別れはいつ訪れるか誰にもわからないので、これからは周りの人にもう少し思いやりを持って、優しく生きていきたいと思います。
-----------------